2021年1月18日

【政治史3】吉田茂のがんばりと日本の主権回復

1945年に太平洋戦争で負けた日本が全面降伏すると、第二次世界大戦に勝利して世界の覇権国家になったアメリカ合衆国と、世界初の共産主義革命によって誕生した超大国ソビエト連邦(以後ソ連と表記)は、お互いに相手を意識していきました。

直接軍事行動を起こすのではなく、「俺たちの方がすげー武器持ってるんだぜ!」と威嚇しあう軍拡競争や、他の国の戦争に介入して代理戦争をして勢力の拡大を狙うなど、スパイや陰謀が終戦後の国際社会でガンガン行われるようになりました。

このアメリカとソ連の対立のことを直接砲火の飛びかわない冷たい戦争、【冷戦】と言います。

2大超大国による冷戦時代の始まりです。

 

このとき“どっちがうまく相手に核で先制攻撃できるか”で盛り上がってミサイルの技術が発展。

ソ連がロケットで宇宙に人を打ち上げたり、ソ連のロケット技術にビビったアメリカが

 

「国家予算いくら使ってもいいからソ連よりすごいことやって見せて!!」

 

と対抗意識を燃やしてNASAを作って、月まで行って帰ってくる『アポロ計画』を実行して成功させたり、とにかくまあすごかったらしいです。

 

 

資本主義勢力と共産主義勢力の戦い

ソビエト連邦は共産主義者による武力革命で誕生した国です。

アメリカは共産主義者が力を持つことを警戒し、1947年に“トルーマン・ドクトリン”を発表します。ドクトリンとは大雑把にいうと『方針』。

“トルーマン・ドクトリン”は、“トルーマンの外交方針”みたいな意味です。

 

トルーマン大統領「合衆国の外交政策の目的の一つは、他国民でも圧政に脅かされることなく生活ができる状態を保つことにある!!」

 

次々と他国の戦争に首を突っ込んで民主化をしていくキャプテンアメリカみたいな性格の『正義のアメリカ』は、このトルーマン・ドクトリンによって誕生しました。そして2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ諸国で生活に困った人たちがやけっぱちになって共産革命を起こさないように大量のお金を突っ込みます。

 

しかしそれでも格差が広がって生活に困っている人たちには、みんなで働いてみんなで分ける共産主義社会が眩しく見えて、次々と共産主義国家になっていきます。

第二次世界大戦の戦勝国たちは、たくさんの犠牲者を出しながらもドイツの独裁者ヒトラーから取り戻したはずの陣地を全部ソ連の独裁者スターリンにかっさらわれるカタチになりました。

 

 

日本の周りでも共産主義国が建国される

日本のまわりでも1948年に北朝鮮が建国、1949年には中華人民共和国が建国されました。

そしてソ連のバックアップを受けた中華人民共和国が朝鮮半島になだれ込んで北朝鮮と一緒に韓国へ侵攻。

日本の敗戦からたった5年後の1950年に朝鮮戦争が始まります。

 

 

警察予備隊の誕生

 

 

アメリカ「ヤバい! このままじゃ日本までとられちゃう!!」

 

太平洋という海は挟んでいますが、日本はアメリカの隣国です。

日本が共産主義に染まってしまうとアメリカだってただではすみません。

でも日本が降伏したときに戦勝国みんなで話しあって、日本がまた戦争仕掛けてこれないように軍隊持ったらいけないことにしてしまっていました。

どうしよう!?

 

ということで公職追放していた旧日本軍の士官学校出身者を集めて1950年に警察予備隊を組織しました。

 

どうみたって軍隊な見た目ですが、軍隊ではありません。警察の予備隊です!!

 

この警察予備隊はのちに自衛隊になっていきます。現在の自衛隊のあやふやな立ち位置はこのときに生まれたわけですね。

 

ピンチはチャンス! 直接アメリカ本国と交渉を開始した吉田総理大臣。そして独立へ__

朝鮮戦争は日本にとってもピンチだったわけですが、当時の吉田茂総理大臣は、このピンチをアメリカの占領統治から抜け出すチャンスと捉えました。

 

「ポツダム宣言で主権が無くなって無防備な日本をこのまま独立させたら、ソ連に取られちゃいますよ? でも独立させないと、不満の溜まった民衆が共産党政権を樹立させちゃいますよ?」

 

と池田勇人大蔵大臣と側近の白洲次郎を直接アメリカ本国に送り込んで、日本の主権回復と独立を迫りました。

そしてその交渉の結果、朝鮮戦争の最中、玉音放送から6年後の1951年9月にアメリカのサンフランシスコで行われた講和会議で、日本は主権を回復しました。

しかし日本に本格的に再軍備させることにはアメリカ国内でも忌避感が強買ったので、日本が本格的に軍隊を持たない代わりにアメリカが日本を守るための日米安全保障条約も結ばれました。

このときから在日アメリカ軍は「占領軍」から「駐留軍」になりました。

日米安保条約は、アメリカによる共産主義勢力封じ込めヤバい敵だった日本にまた軍事力を持たせるのはヤバいというジレンマの間で結ばれたんですね。

 

こうして主権と独立を回復した日本は、朝鮮戦争でアメリカから大量の物資の注文を受けたことを起爆剤にして高度経済成長へと向かっていきます。

 

吉田茂は1946年から1954年までに5回総理大臣に指名され、激動の時代のなか、戦後の日本の立て直しをはかりました。

 

主な実績は

・国内の共産主義者に対する公職追放

・アメリカと講和条約を結ぶ(仲直り)

・日米安全保障条約を結ぶ(日本が危ないときはアメリカに助けてもらうことにする)

 

しかし5回も総理大臣をやるといろんな問題も出てくるもので、6年2ヶ月続いた長期政権はワイロや口利きの疑惑から野党に不信任案を出されて幕を閉じました。

次回は吉田茂退陣後の政治についての記事になります。

 

近現代史シリーズ