2021年3月17日

【政治史7】ジャパニーズ・ミラクル!高度経済成長

【前回までのあらすじ】

1945年に日本が太平洋戦争で敗戦し、アメリカをメインにした占領軍GHQの連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが来日。

日本がアメリカに戦争を仕掛けたのは日本の体制に問題があるとして、日本政府に大日本帝国憲法の改正を要請。

しかし日本側の出してきた改正案はそれまでの憲法とほとんどなにも変わっていなかったので、GHQの側で草案を作成。

どうせなら世界に類を見ないカンペキな憲法を授けてやろうとGHQの中の人たちがものすごく頑張って10日で仕上げたGHQ草案を元にして人類史上類を見ない平和的な“戦争の永久放棄”を謳った日本国憲法が成立、公布されました。

戦後体制の始まりです。

戦後の混乱の中、なるべくはやくの占領体制からの脱却を狙う吉田茂総理1950年に朝鮮半島でおこった社会主義陣営と自由主義陣営との代理戦争“朝鮮戦争”のドサクサを利用し

「ポツダム宣言で主権が無くなって無防備な日本をこのまま独立させたら、ソ連に取られちゃいますよ? でも独立させないと、不満の溜まった民衆が共産党政権を樹立させちゃいますよ?」

とアメリカを脅して、サンフランシスコ講和条約を結んで日本の主権を回復し、日本が本格的に軍隊を持たない代わりにアメリカが日本を守ることにした日米安全保障条約も締結しました。

そして吉田茂が退陣したあと総理大臣になった鳩山一郎は、ライバルの吉田の真逆の方針を打ち出し、

「吉田がアメリカなら俺はソ連だー!」

と社会主義陣営のソ連とも講和してシベリアに抑留され強制労働させられていた捕虜を奪還。

これで日本と周辺諸国の敗戦処理はひと段落ついてひと息つけるかと思いきや、焼け野原からの復興についていけなかった人と1発当てて成り上がれた人の間で格差が広がり国内の治安が悪化。

資本家にこき使われて資本主義に絶望した貧民と新しい“共産主義”に理想の未来を感じた若いインテリ層に共産思想が流行して日本社会党が支持を集めて超拡大。

これに危機感を覚えた保守派の自由党と民主党が合体して単独で過半数の議席を確保できる自由民主党が誕生し、1955年から社会党と自民党の二大政党でなあなあでやっていく55年体制が始まります。

しかしそうなってしまうと民衆が選挙で選ぶための選択肢が自民党か社会党かの二択しかないので選挙が政治を左右しなくなって、政治家は国民の人気を取るよりも政党のえらい人のご機嫌をとったほうが地位が安泰になるので、全体的に汚職が横行するようになります。

そんな状況の中で新しく総理大臣になった岸信介は、ソ連寄りだった鳩山路線を修正してアメリカ寄りに戻し、任期中に期限が来た日米安全保障条約を改正延長して日本の新しい体制を作り直します。

・日本の内乱に米軍が介入できる。

・期限がないので米軍が永久に駐留することができる。事実上の永久占領体制になっている。

となっていた旧条約が

・日本の内乱に米軍か介入しない。

・日本をアメリカ軍が守る代わりに、在日米軍への攻撃に対しても自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う。

・在日米軍の配置・装備を変えるときは両国政府が事前協議できるようにする。

というふうに変わりました。

こうして日本はまた一歩戦後からの脱却ができました。というのが前回までのお話です。

もはや戦後ではない、奇跡の経済成長

国会を何十万人もの人たちが取り囲み、死傷者も出した日米安保の騒ぎの責任をとって岸信介は退陣。

そして日米安保をやった自民党をまだ支持できるのか国民の意見を聞くというカタチで解散総選挙を実施しました。この選挙の前哨戦として1960年10月12日に日比谷公会堂で開催された自民・社会・民社の3党首立会演説会で社会党の浅沼稲次郎議員が右翼の少年に刺し殺されてしまっていたので、事前の予想では社会党に同情票が集まっていい勝負になるのでは? と予想されていました。

しかしここで自民党の池田勇人議員が

沼は演説百姓よ
汚れた服にボロカバン
今日は本所の公会堂
明日は京都の辻の寺〜

と浅沼議員の友人の詠んだ詩を引用してすごく泣ける追悼演説(聴いていた野党の議員も感動して泣いた)をしたので、同情票は自民党に流れて自民党は歴史的な大勝利(議席率64%は史上最高)をします。

そして岸のあとの総理を任せられた池田勇人は衝撃的な発言をしました。

皆さんの月給を10年で2倍にします!

『所得倍増計画』を発動したのです。

現代でいったら新卒の会社員が月収40万円になっているようなものです。
当時のマスコミも当然信じず、政府の発表する経済指標が目標を下回るたびに

「え? 2倍にするんじゃなかったの? 嘘つき!!」

と煽り気味に報道していました。

しかし池田勇人もなんの勝算もなく夢みたいな目標を掲げたわけではありません。実はこのときアメリカが中国やソ連の共産主義から自分の国を守る壁にするために、敗戦してボロボロだった日本を復興させることを決めていたのです。

そしてアメリカが日本復興のためにやったことは、1949年からはじまった1ドル=360円の固定相場制でした。

このころの日本の適正為替は1ドル=300円くらいだと言われています。

これはとんでもないいい条件をもらったといえます。

外国はドルでモノを買ってくれますので、日本は外国にモノを売れば売るほど適正な利益よりも1.2倍多く円が儲かるわけです。


さらに朝鮮戦争で日本にはアメリカの前哨基地として武器や弾薬の製造、自動車や兵器の修理など、さまざまな発注があったので、作れば作っただけ買ってもらえる時期でした。

この2つが重なって、夢のようなお話だった池田勇人の所得倍増計画は10年どころかたった7年で実現しました。

日本が経済成長した理由

・アメリカが日本を強くするために円ドルの交換にハンデをくれた
 (おかげで日本は海外と貿易をすると1.2倍儲かった!)

・1950年代に中東やアフリカで相次いで大油田が発見されたので、

 世界的に石油が安かった。

・国民の高い貯蓄率

 (銀行が潤沢な預金を背景に国内に大きく投資できた)

しかし池田勇人さんは所得倍増計画から5年で亡くなってしまったために、国民の所得が倍増する瞬間を目にすることはできませんでした。

そっか〜…でも有言実行したんだね!
今までに出てきた日本のリーダーってすごい人ばかりだね!
それに比べて最近は… 

そういう見方を多くの人がしてしまいますが、明らかな危機があるときのリーダーとくらべて平時のリーダーは、複雑な問題を解決しないといけない上に結果が実感されないので評価されにくいということは考えておくべきですね。

そのうえ政治が本当にうまくいったかどうかはそのときにはわかりません。池田勇人さんも総理大臣のときには『経済一辺倒』『池田勇人、鬼よりこわい、ニッコリ笑って税をとる』なんて言われたり、高度経済成長に伴う公害問題なんかで叩かれていました。

好景気のときには増税したほうがいいんじゃないの?

よく勉強していますね。
理屈の上ではそうなんですが、実際取るのは難しいんです。
好景気になると民間の力が強くなるので政府はあまり強く出れないんですよね。
逆に危機が現れると国の力が強くなります。
中国の脅威とコロナウイルスの補償でいま、みんなが日本政府に期待してますよね?

こういうときに政府は力が強いんで増税しがちなんですよね

取れるうちに取らないと上げるタイミングがないのかー

でも不景気なときに上げちゃうと景気が良くならないんですよね。
話は戻って高度経済成長しているときでもみんなが裕福になれたわけではないので、増税が死活問題だった人はたくさんいたんですよね。

池田さんは再分配よりも経済成長を見ていたわけですね

そっか〜、あっちを立てたらこっちがうまくいかなくなったり、こっちを立てたらあっちがうまくいかなくなったりするんだね?

それで時間が立たないと政治家のホントの評価はできない

そうですね!
良い・悪いの判断というのはとても難しいモノなんです。
どこを見るかで変わってくるし、どこから見るかでも変わる。
だからうーちゃんもさーちゃんもモノを見るときはいろんな角度からどう見えるかを考えていきましょうね

はーい

それでは次の回では池田内閣のときの世界戦略から日本の政治史を見ていきましょう!
政治だって流れを追ってみていくとまあまあ面白いドラマがあります。また来週ごろに更新されます!

近現代史シリーズ