2021年3月9日

何事も行き過ぎると歪みがみえるという面白さ

「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」とは、女性、子ども、性的・人種的・民族的マイノリティーなど「弱者」とされる人びとに対して、彼・彼女らの心情や尊厳を害しないよう表現や記述に《配慮》を求める思想のことです。

日本語に訳すと「政治的正しさ」

誰もが「人種差別」は悪いことだし、「男女差別」は時代遅れだと思っていることと思います。「LGBT」なんて他人の性的嗜好に目クジラ立てるのは余計なお世話ですよね。

そんな誰が聞いても正しいと答えるポリコレに、なぜか最近多くの人はうんざりしてきているようです。

中には当事者不在のまま炎上している例も

ノーベル賞作家が行き過ぎたポリコレに批判

2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんのインタビューが物議をかもしています。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。

私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

引用元:カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさhttps://toyokeizai.net/articles/-/414929?page=2

この記事の中でイシグロさんは「多様性を尊重するはずだったリベラルが、リベラル以外の価値観を認められなくなっている」問題や、

「大事なのは事実や真実ではなく、何を感じるかだ」という最近の社会で“正しい”とされる価値観について批判をしています。

価値観のアップデートされたインテリでリベラルな人は、世界中で同じような価値観の同じような経済レベルの人たちと話して情報を共有しますが、自分の街の貧困層の生態はよく知りません。

人々の分断は現代社会では、世界地図のような横の広がりではなくて、知性や経済という縦の繋がりで起こっているのです。

世界中の金持ちは人種、性別にかかわらず似てくる。

本当の多様性は中間から下の層に表れるってわけです。

ノーベル賞作家カズオ・イシグロ最新作

人工知能(AI)を搭載したロボットであるクララは、店を訪れる客や通りを歩く人々を眺めながら、いつか誰かが自分を購入してくれると期待していた。ついに、クララはある少女の家族と住むことになるが、実は一家には秘密があった…

何事も行き過ぎると歪みがみえるという面白さ

「大事なのは事実や真実ではなく、何を感じるかだ」

この言葉を聴いて、パッと反論していく人はいないと思います。

「それはそうだよね」「確かにそのとおり」と多くの人が賛同するのではないでしょうか。わたしも当然この言葉には賛同です。

しかし最近、この名言のような価値観で

「事実がどうであろうが全体から見れば些細であろうが、わたしはいま、不快感を覚えている!」

と問題提起する人たちが増えてきているせいで、こういったいざこざにウンザリしてきた人たちが、問題提起する人をそれとなく遠ざける(社会正義は問題提起する人にあるので反論はしない)流れが少しずつ見えてきています。

物事には良い面もあれば悪い面もあります。

自分の人生の問題を解決するには大きくふたつの方法があります。

まず第一に自分が変わること。

もう一つは周りの環境に変わってもらうこと。

社会問題を提起するということは意地悪い見方をすると、自分ではなく社会を変えようとするということです。

私がこんなに不快に感じているのは社会のせい! 反対する人たちはレイシスト! 差別主義者!

こんなことを言われて嬉しい人はいません。しかし反論すると、

こんな当たり前のこともわからないの?
意識を“アップデート”しないと時代に置いていかれるよ?

と道徳的な高みから断罪されることになります。

もちろんこうやって声を上げることで救われる人はこれまでもたくさんいただろうし、これからもたくさんいるだろうと思います。

ただ、正しいことを言うばかりの風紀委員はクラスで煙たがられることになります。

こうやって価値観の振り子は、前に流行った価値観の行き過ぎたところを反面教師にしてずっと振れていくんでしょうね。

ずっと(社会的に)正しい(とされる)価値観なんてないわけなので、特定の価値観に凝り固まらずに、変わっていく状況に合わせて“価値観をアップデート”していくのが1番良さそうですね。

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