1955年 |
勢力を伸ばす社会党(社会主義)に対抗するために、ライバル関係にあった自由党と日本民主党が合体して自由民主党(自由主義)が誕生しました。 |
1960年 |
太平洋戦争敗戦後の弱い立場のときにアメリカと結ばれた『日米安全保障条約』を、岸信介内閣がより良い条件で結び直しました。その際、「アメリカの属国になるつもりか!」と全国の学生が国会に突入するくらい激しい反対運動が起こりました(60年代安保闘争)。そのあと日米安保条約を結び直した際のゴタゴタの責任を取って岸内閣は退陣しました。 |
1961年 |
「皆さんの給料を10年で2倍にします!」安保闘争で政治のゴタゴタに疲れた国民に、池田勇人内閣は経済で夢を語り大きな支持を得ました(所得倍増計画)。しかしここで大きな公約違反がありました。「10年で2倍」にするはずが、「7年で2倍」になってしまったのです(高度経済成長期へ…)。 |
1993年 |
バブルの崩壊や、リクルート事件から次々に明らかになった汚職事件で国民の支持を失い、1955年からずっと与党だった自民党が選挙に負けて、38年ぶりに野党になりました(55年体制の崩壊)。しかし1994年の6月には再び与党になりました。 |
2014年 |
2014年5月、第二次安倍政権下で「内閣人事局」という部局が設置されました。官僚の中で誰を出世させるかに内閣が口を出せるようになりました。これによって、より政治主導で思い切った政策が打てるようになりました。 |